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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)3997号 判決 1956年8月27日

原告 加納治朗

被告 藤原フミヱ

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

一、申立

原告は、「被告は原告に対し、大阪市西成区梅南通二丁目二〇番地所在の北向木造瓦葺二階建家屋五戸一棟のうち東端の一戸(以下本件家屋という)を明渡し、かつ、昭和二八年六月五日より右家屋明渡済に至るまで、一ケ月金一、四五〇円の割合による金員を支払え、訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めた。

被告は、主文と同旨の判決を求めた。

二、主張

(1)  原告の陳述

(一)  本件家屋は原告所有のものであるが、原告は、これを訴外舟井国松(以下国松という)に対し、期間の定めなく、賃料一ケ月金一、四五〇円、毎月末日払とする約定にて賃貸していたところ、国松は原告の承諾なくして、被告を本件家屋に同居せしめ、被告は現にこれに居住しているものである。

ところが、国松は昭和二八年六月四日に死亡したので、同人の弟である訴外舟井源次郎(以下源次郎という)が、相続により本件家屋の賃貸借上の権利義務を承継した。

よつて原告は同年八月三一日源次郎に対し、国松の被告に対する前記無断転貸を理由として、本件家屋の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

よつて、被告はなんら正当の権限なくして本件家屋に居住し、これを不法に占有しているものであるから、本訴を以て所有権にもとずき本件家屋の明渡を求めるとともに、国松が死亡した翌日である昭和二八年六月五日よりその明渡済に至るまで、前記賃料の相当額である一ケ月金一、四五〇円の割合による損害金の支払を求める。

(二)  被告の主張事実中、被告が国松と内縁関係にあつたことは否認する。被告は国松の営業に関する同人の使用人であつたにすぎない。仮りに被告が国松の内縁の妻であつたとしても、本件家屋の賃貸借は、被告の主張するごとく国松の生活共同体と締結したものではない。従つて被告は本件家屋の賃借権を有するものではなく、又国松の死亡により、その賃借権を相続するものでもない。

原告は被告の本件家屋の転借を、承諾したことはなく、被告が本件家屋の階下店舗と二階の一部を国松から転借したことは、後になつて知つたものである。

(2)  被告の陳述

(一)  原告の主張事実中、本件家屋が原告所有のものであること、原告と国松との間に原告主張のごとき本件家屋の賃貸借関係が存在していたこと、被告が現に本件家屋に居住していること及び原告主張の日に国松が死亡したことは認めるも、原告主張のような賃貸借契約解除の意思表示がなされたことは知らない。

(二)  被告は昭和二五年五月下旬国松と結婚して内縁関係に入り、本件家屋に同棲してきたものであつて、同人から本件家屋を転借したものではない。同年六月従来国松が本件家屋を使用して経営していた喫茶店営業を同人より譲り受け、以来被告は本件家屋にて右喫茶店営業次いで飲食店営業をなし現在に至つている。そして被告と国松が内縁ではあるにせよ夫婦の間柄であることは、近隣の全ての人が熟知しているものである。又国松の死亡のときは、被告がその届出をなしその葬儀も被告においてとり行つたのである。

(三)  もつとも被告は戸藉上訴外藤原薫と婚姻関係にあるが、次の如き特殊の事情があるから、これを以つて直ちに被告と国松との内縁関係は否定されるべきではない。右藤原は、今次世界大戦のため召集され満洲に渡つたが、終戦後一〇年以上を経過している現在に至るも尚被告及びその近親者になんらの連絡もなく、その生死は不明であるが、今次世界大戦によりソ連及び中共に捕虜抑留されたかつての日本軍人の大多数は、その後帰国したものを除き既に死亡しているものと考えられる(ソ連当局は、戦犯処刑者以外の者は送還済であると公表している)に拘らず、現在尚生死不明のまゝ放置されているのであつて、この事実からすれば、藤原は既に死亡しているものである。このような事情の下に被告が国松となした婚姻は、たとい戸籍上配偶者があるとしても、この点なんら道義的法的に非難せられるものではなく、他に所定の手の手続すなわち失踪宣告の手続をとらなくとも、被告が国松の内縁の妻たる地位を否定されるものではない。

(四)  原告主張のごとく本件家屋の賃貸借契約は原告、国松間でなされたものであるが、その実体は原告と国松と生活を共同にすべきもの、すなわち婚姻、出生等により国松と生活を共同にするもの全員(生活共同体)との関係であつて、単に形式上国松がその生活共同体の代表者として、契約面に現われているにすぎない。

労働基準法、健康保険法その他のいわゆる社会保護法においては、内縁の妻は法律上の妻と同様に取扱われているから、借家人の社会保護を必要とする借家関係においても、内縁の妻は法律上の妻と同様な地位にあるものであり、生活共同体のうちには内縁の妻も当然包含されるべきである。従つて、被告は国松の生活共同体の一員として本件家屋の賃借人たる関係にあつたのであつて、国松の死亡後は自己の賃借権にもとずいて本件家屋を占有使用する権利を有するものである。

(五)  仮りに右主張が理由なく、被告の使用関係が原告主張のごとく転借になるとしても、原告は被告の本件家屋の転借を承認しているものである。すなわち、原告は本件家屋内に居住者の変動があつた場合は、直ちにこれを察知できる程の近隣に居住しているが、(本件家屋より十米内外のところにすぎない)、被告は昭和二五年六月以来本件家屋にて前記のごとき営業をなし来たつたものである。又原告方に同居し原告方の看護婦兼薬剤師である訴外田中某女が原告に代つて家賃を受領していたのであるが、被告が二年間毎月の家賃金を原告方に持参して支払つて来たのである。又右田中夫婦は被告方に出前の注文に屡々来たことがあるが、その際本件家屋の店舗に掲示してある営業主(被告名)を印刷した前記営業の許可書を見て、被告が本件家屋にて営業をしている事実も知つているものと思われる。そして原告は医者である関係上被告の依頼に応じて被告が飲食店営業許可申請に必要な被告の診断書を作成し、又被告方に病人のあるときは被告に来診してくれていた。右のごとく原告は本件家屋に被告が居住している事実を十分知つておりながら、或は知つていたと思われること確実であるが、それにも拘らず国松が死亡するまでの間、本件家屋の被告の転借についてなんら異議を述べないで、毎月被告から家賃を受領していたものであるから、転貸借について原告の黙示の承諾があつたものと解すべきである。

(六)  昭和二八年六月以降の賃料については、被告は原告に対し弁済のため提供するも原告はこれが受領を拒絶したので、止むを得ず大阪法務局に弁済のため供託している。よつて、原告の損害金の主張の点も理由がないと述べた。

三、証拠<省略>

理由

本件家屋が原告所有のものであること、原告と国松との間に原告主張のごとき本件家屋の賃貸借関係が存在したこと及び被告が昭和二五年五月頃から昭和二八年六月四日国松が死亡するまでの間本件家屋で同人と同居し、同人死亡後も引続きこれに居住していることは当事者間に争がない。

原告は被告が本件家屋を国松より転借していたものであるから、これが賃貸借契約を解除したと主張するに対し、被告は国松と被告とは内縁の夫婦として同棲していたものであると主張するので、先ずこの争点について検討する。

成立に争いのない乙第二乃至第六号証、証人川端久恵、同舟井源次郎の各証言並に被告本人尋問の結果を綜合すると、国松は本件家屋の階下で「うつぼ」という名称の喫茶店を経営していたが、先妻とわかれて独身になり人手がなくなつたし、又資金もなくなつたのでこれを廃業して閉店していたこと、被告は昭和二五年五月初旬頃、国松から本件家屋の階下全部をおこのみ焼店かうどん屋を営む目的で借り受け子供二人と共にこれに居住するようになつたこと、国松は本件家屋の二階の一室に居住し、二階の他の部屋には訴外川端久恵が居住していたので、結局本件家屋で三世帯が居住するようになつたこと、その状態で一箇月近く暮して行くうちに国松は独身の老後のことも考え子供のある被告と結婚して階下で共同して喫茶店を経営することを望むようになり、右川端久恵にこの旨を伝えて依頼し、同女が両者の間を斡旋した結果、被告も夫が応召して外地に出征したがソ聯に抑留中死亡したものと思われ生還の望みがなく、又飲食店等の経営にも経験がなかつたので、子供等の養育のことも考えて国松との結婚に同意し、婚約が整つたので同年五月三〇日の夜、右仲人の川端久恵と三名で酒を酌み交わして、ささやかながら、うちわの祝宴を張り、ここに被告と国松とが婚姻するに至つたこと、その後被告等は事実上の夫婦として同棲すると共に、本件家屋の階下で被告の名義を以てその資金で共同して「うつぼ」の名称で喫茶店を経営し、昭和二六年一二月頃に業態を変更して飲食店としたが、昭和二八年六月四日国松死亡の後は被告が単独でその営業を継続しているものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

右認定の事実によると国松は昭和二五年五月初旬頃被告に対し本件家屋の階下全部を転貸したが、同月三〇日同人等が婚姻した後は事実上の夫婦として本件家屋に同棲し、階下で喫茶店等を共同経営していたものであるから、次に右転貸借につき原告の黙示の承諾があつたとする被告の抗弁の当否を判断する。

成立に争いのない乙第七号証、証人西川駒吉(一部)、同川端久恵の各証言、原、被告各本人尋問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すると、本件家屋は原告の自宅と同一の棟続きでその間は十数間の距離しかなく四軒目の隣家であること、原告は自宅で医師を開業していて、依頼に応じときどき本件家屋に国松、被告親子等を往診していたこと、原告は被告の依頼に応じて業態変更による飲食店営業の許可申請に必要な被告の診断書を昭和二六年一二月一日附で作成していること、原告方の番頭田中岩夫夫婦も飲食物の出前の注文のためにしばしば本件家屋に出入していたこと、被告等は近所の人達から夫婦として認められており、営業の必要上本件家屋を数回に亘つて改造していること、被告が本件家屋に居住するようになつてから国松が死亡する迄の約三年間は被告が本件家屋の家賃を毎月原告方に持参していたが、原告方の看護婦で原告より家賃の受領を任されていた右田中の妻が異議なくこれを受領していたこと、原告も被告が本件家屋に居住していることを知つていたが、国松の存命中これに関し異議を申し出たことがないことを認めることができる。証人西川駒吉の被告が国松の使用人であつた旨の証言部分は他の証拠と対比して信用できない。

家屋の賃貸人はその住居の近くに賃貸家屋があるときは特別の事情のない限りその家屋の居住者及び使用状態の異動の有無等に注意して観案しているのが常であつて、転貸借がなされているのに拘らず数年間も知らないというようなことは普通には考えられないところであるから、右認定の各事実を合せて考えると原告は被告の前記転借の事実を知つていたものと推認しなければならない。そして原告は右認定の如く約三年間に亘り毎月被告から異議なく本件家屋の家賃を受領しているのである。およそ賃貸人が賃貸借の目的たる家屋が転貸せられている事実を知りながら、異議なく家賃を受領しているときは、黙示の間にその転貸借を承認したものと解するのを相当とするから、原告は黙示の間に被告の前記本件家屋の転借を承諾したものといわなければならない。しからば原告がその主張のごとく右転貸借を事由として契約解除の意思表示をしたとしても、賃貸借関係が終了するに由なく、原告の右主張は失当である。

ところで、被告が国松より転借して同人と飲食店を共同経営していたのは前記認定のごとく本件家屋の階下の部分であるが、原告は所有権にもとずき本件家屋全部の明渡を求めているので、右転貸借を援用できない被告の占有使用部分につき原告に対抗する権限の有無が次の問題となつてくる。

この点に関し被告は国松が生活共同体の代表者として原告と賃貸借契約を締結したものであるから、国松の死亡により同人の内縁の妻たる被告は自己の賃借権にもとずき、本件家屋を占有使用する権利がある旨を主張する。一般の居住のためにする家屋の賃借名義人が死亡しても賃貸借契約は同一性を失うことなく残存世帯員と家主との間に存続するとする有力なる学説があり、これは社会の実情にもかなつた考え方ではあるが、わが現行法上からこのような解釈に到達することは困難であるし、殊に本件家屋は階下が営業用になつているから、右学説によつても直に被告主張のごとき結論に達するものではない。そして成立に争いのない甲第一号証によると国松の相続人はその弟舟井源次郎のみであることが明らかであるから、国松の本件家屋の借人として権利義務は同人の死亡により舟井源次郎が承継したものと認めなければならない。従つて国松の死亡後は原告と舟井源次郎との間に本件家屋の賃貸借関係が存在するものであつて、被告は直接これが賃借人となるものではない。

しかしながら、死亡した家屋賃借人の内縁の妻は、亡夫を中心とする生活共同体の構成員たりしものであるから、夫の死亡後もその相続人の意思に反しない限り(相続人は被相続人の内縁の妻の地位を尊重し、自己の賃借権の範囲内で内縁の妻の居住使用を承認しなければならない。)、これが賃借権を援用して賃貸人に対抗しうるものと解すべきところ、証人舟井源次郎の証言によると被告の本件家屋の使用は舟井源次郎の意思に反しないことあきらかであつて、被告は本件家屋の占有使用につき、同人の賃借権を援用して原告に対抗することができるものといわなければならない。もつとも前記認定のごとく被告には戸籍上の夫があるので、国松の内縁の妻ということができるか否かが問題になるのであるが、この点に関しては次のごとき特殊の事情があるので、当裁判所は右事実に拘らずすくなくとも家屋賃貸借上の法律関係に関しては、被告は国松の内縁の妻として取扱わるべきものと解するものである。

証人西川駒吉の証言により成立が認められる甲第三号証の二、その方式及び趣旨により成立が認められる乙第一三号証、証人川端久恵の証言、並に被告本人尋問の結果を綜合すると、被告は昭和一三年訴外藤原薫と婚姻し、同人との間に同年八月一三日長男肇が、昭和一八年一月一八日次男邦男が生れたこと、薫は同年八月二三日満洲第一二一五部隊に入隊して出征し、昭和一九年一二月三〇日頃は当時の満洲国牡丹江に駐屯しており、終戦の頃迄は通信があつたが、その後は全然音信がないこと、広島県民生部世話課の調査によると薫は生来病弱であつたところ、昭和二一年二月上旬ソ聯タイセツト地区キビトーク第七病院に栄養失調のため入院したが、当時歩行も不可能で衰弱し切つていて快復の見込のない容態であつたが、その後生存していたことを認めるに足る資料も入手されないので、諸般の状況上より死亡したことが確実と判断せられていること、被告は薫の出征後は広島県尾道の同人の実家で同人の兄夫婦の世話になつていたが、右のごとく薫の生還は断念しなければならない状態となつたので、何時迄も兄夫婦の世話になつていることも許されなくなり、大阪で自活する積で昭和二五年五月五日頃子供二人を連れて上阪し、前記のごとく子供等の将来のことも考えて国松と婚姻するに至つたものであることが認められる。右認定の事実によると失踪宣告等の手続をとつていないため戸籍上被告は薫の妻となつているけれども、その夫婦関係は既に断絶していて事実上は解消せられているものである。被告は形式上は薫の妻となつているけれども、その関係は既に夫婦たるの実なきものである。右のごとき被告が国松と婚姻したとしても、これを以て不倫の情交関係とし、公序良俗に反するものとして排斥することができないのであつて、証人川端久恵、同舟井源次郎の各証言によるも、国松の弟も近隣の人達も被告を国松の妻と認めて交際していたことが認められるのである。夫婦の一方が他の異性と情交を結ぶことを以て不倫の関係として社会が非難するのは事実上夫婦関係にあるものが他の異性と関係するからであつて、法律上夫婦関係にあるものであるからではない。事実上の夫婦関係にあるものであれば法律上の夫婦でなくとも不貞行為は許されないものとされるし、戸籍上の夫婦であつても事実上夫婦関係のなくなつたものであれば社会一般はこれを以て不貞の行為と観念しないであろう。右のごとく被告と国松との関係はなんら公序良俗に反するものではないから、被告は国松の内縁の妻として取扱わるべきである。

果してしからば被告は自己の転借権及び舟井源次郎の賃借権を援用して原告の所有権にもとずく、本件家屋明渡の請求を拒否することができるものであつて、本訴請求はその余の争点に対する判断をするまでもなく、失当として棄却すべく、訴訟費用は敗訴の原告に負担せしむべきものとし、主文のごとく判決する。

(裁判官 前田覚郎)

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